P r o f i l e : K a i F u k i n b a r a


   
名前 冨金原 塊(Kai Fukinbara)    
職業 陶工    
生年月日 S48.5.14    
血液型 B型    
E-mail ka1@rio.odn.ne.jp    
京都生まれの京都育ち    
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生い立ち:

岩屋保育園時代:(~6歳)
光化学スモッグと、自分の着ているスモッグの関係について悩んでしまった。
おたふく風邪により、楽しみだった一泊保育を休む。
           
大塚小学校時代:(~12歳)
小4まで幼なじみだった晋ちゃんと一緒に遊び回っていた。
この頃、すぐに15人くらい集まって遊べた。
小5~6の時に担任だった、西岡先生(今でも一番の恩師)が素晴らしい先生で、
最高に楽しい学校生活を送る。
クラスメイトにも恵まれ、卒業式では涙・涙だった。

音羽中学校:(~15歳)
ツッパっていたという意味ではなく、精神的に最もやさぐれていた3年間。
毎日が無意味に思え、日々何も楽しく無かった。
この頃にR&Rと出会い、音楽づけの毎日を送る。
(当時、レンタルレコード店は天国だった)

伏見工業高校時代:(~18歳)
金属工芸科(現 機械科)にて、旋盤・フライス盤・鋳造など、
毎日、板金工場の様な教室で実習を受ける。
バイトにも力を入れて、バイクに注ぎ込む。
自転車でキャンプや釣りに行く事がマイブームだった。
持久走で学年1番となる。
握力は学年3番、けんすいは学年2番だった。
かなりのヤンチャ高校だったが、とても楽しかった。

陶工訓練校時代:(~20歳)
校内最年少として、2年間基礎を学ぶ。
モノ作りの世界に飛び込み、刺激的な日々を送る。
年上ばかりだった割に、生意気だった。

窯業試験場:(~21歳)
毎日ひたすら釉薬の試験だった。
鼻息でも表示が変わる様な電子量りを前に、頭がおかしくなるかと心配もしたが、
1000ピースの釉薬が集まった時は達成感があった。
自由課題では、海鼠釉を研究した。

信楽弟子時代:(~22歳)
フルタイムで働いて、月給8万という寒い待遇だった。
しかも、信楽は関西で最低気温をマークする土地で、身も心も極寒(極貧)だった。
この頃の体重、50.2kg(身長176cm)
良かった事は、毎日の土作りや釉薬作りの知識が今でも役に立っている。
実際、この頃に土もみがわかった。
兄弟子さん、同僚に恵まれ、プライベートは充実。

ルアー職人時代:(~23歳)
一旦、陶芸界から離れてみる事に。
独学でハンドメイド・ルアー作りを研究する。
縁あって、日本人で第一人者と言われる、ルアー・ビルダーのサム山岡さんに教授してもらう。
釣り具屋さんや、北山の雑貨店に商品を置いてもらうまでになったが、
あるルアー・ビルダーの素晴らしいルアーを見て、戦意喪失。

永源寺陶工時代:(~24歳)
陶芸界へ復活。
ロクロ師として働く。
とにかく、思う様に挽けなかった。
定時終了後、自分の品物を作らせてもらえたので、練習や器作りをさせてもらった。
家賃1万5千円のボロ家に下宿。
トイレを自分で作った。

いづう時代:(~25歳)
再び、陶芸界から離れる事に。
学生の頃からお世話になっていた、祇園の老舗「鯖寿司のいづう」で働く。
帳場という重要なポストにつきつつも、配達に洗い場に走り回る。
一日14時間働いていた。
この頃、多くの著名人と話ができた。
正式に社員にならないか?と誘われたが、陶芸を忘れられず戻る事を決意。

永源寺バイト時代:(~30歳)
再び陶芸界へ復活。
以前勤めていた工房でバイトさせてもらう事に。
仕事はロクロだったが、フレックス制だったので自由がきいた。
愛車パジェロで、京都から片道60キロの通勤。
時間外で自分の商品を作らせてもらい、独立する為の販売ルートや活動の場を確保。
独立の為の準備を考え、進めていった。
平均、夜10時半まで作っていた。
(帰りは相当眠かった・・)

独立激闘時代:(~33歳)
自分に約束していた、30歳で念願の独立を果たす。
屋号を「工房えんじゅ」とする。
国庫金から莫大な借金を抱え、設備投資金、運転資金を確保。
さすがに思う様にいかず、仕事の時間外にバイトをした。
バイトを言い訳にしない様、仕事はしっかりとした。

ポーラスタ設立奮闘時代(~41歳)
立10周年を迎え、活動の幅や奥行きを深めたいと思っていたタイミングで隣接した町家が空き家に。数日後、大家さんとコンタクトを取り契約する事に。
全くメンテナンスされていない築90年の町家だったので、思い切って柱と梁だけを残し一旦取り壊し。スケルトンな町家からスタート。
理想の空間を理想の形で作り上げる為、プロの工務店や大工さんは一切入れずに友人や兄弟に手伝ってもらい自らの手でリノベーション。
予想を遥かに上回る資金と時間を使い、着工から2年半後にOpen。
仕事をしながらの作業、費用に身体も頭も使いながらの2年半でかなり鍛えられた。
知識、センス、貯金、技術、経験、人生40年の集大成が妥協の無いカタチで完成した事は大きな自信に繋がった。
お店の名前を「PolarSta」<北極星>とする。

現在:(~42歳)
自分が思い描いていた、理想の陶工生活をはるかに上回る形でフィールドを拡大。
プライベートも娘の誕生や新たな旅への計画に充実。
「"普通"を疑え、人生は目の前にある」をモットーに、新たなチャレンジを何個も設定。
人に鼻で笑われる様な事も必ず実現させていく。
良くも悪くも「陶芸」という括りには納まれない事がわかってきた。


 





好きな言葉 Rock 'n' Roll
independence
   
好きな動物 シロクマ、犬、猫、クジラ、サメ    
好きな食べ物 麻婆豆腐    

趣味 音楽鑑賞、映画鑑賞、読書、旅行、釣り、サイクリング、モノ作り
仕事を通じて、カッコ良い人と繋がっていく事。
アラスカまでシロクマに会いに行く事。
50代になったらトライアンフに乗る事。
自慢 根岸孝旨さんと昼食をご一緒させていただき、Liveへ招待していただいた事。
安藤忠雄さんとお会いした際、直々に次回講演会にお誘いいただいた事。
沢野ひとしさんと握手させていただいた際、「握力が強いね」と見抜いていただいた事。
レナード衛藤さんと昼食をとらせていただき、アフリカ土産をいただいた事。
鈴木晃二さんにギターを譲っていただき、「塊は良い奴だ」と言っていただいた事。
渡部充一さんに器を使っていただいている事。
Diana Baroniに「家にある一番素敵なCupはあなたから買ったものよ」と言っていただいた事。
渡辺謙さんと一緒に昼食をとった事。
布袋寅泰さんに「がんばれよ!」と背中をたたいてもらった事。
PERSONZの渡辺貢さん、JILLさんに食事をご馳走になった事、お店に来ていただき、ロクロを指導させていただいた事。

PERSONZ 30周年夢のFINAL「日本武道館」のステージで使用するオブジェを制作させていただいた事。

陶芸を始めたキッカケ 工業高校で学んだ機械作業が、どうも向いていないと思い、
自分に向いている仕事は何か?を考える。
幼い頃から好きだったモノ作りの道が見えてきた時に、家で日常的に使っていた、
寄神宗美氏、故 古谷道生氏の器を手に取り「コレだ」と、陶工訓練校へ行く決意をする。

心構え 権威、コネクション、お家柄、師弟関係と無縁の環境で活動。
生涯 インディーズ宣言。

尊敬する人、好きなアーティスト 星野道夫 パウル・クレー 安藤忠雄 黒田辰秋
アンドレ・ダーハン ブルース・ウェーバー 
リバー・フェニックス 畠山直哉 杉本博司 西岡常一
渡辺謙 ジュリエット・ルイス アン・ハサウェイ 吉田聡 ベルント・フリーベリ
パワーをくれるすべてのミュージシャン
僕と繋がってくれているすべての人々
家族

憧れの男性 キース・リチャーズ ジョニー・デップ 水木しげる

好きな色 赤、黒、緑



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